夜風のささやき

言霊 謎 狂気 廃墟 廃人

ごあいさつ

 


言葉を友人に持ちたいと思うことがある。

それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気づいたときである。

たしかに言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。

だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさがあるものである。

                                     寺山修司


こんな詩を思いだし中国語特に標準語である普通語を五十の手習いで学習しようと思いました。最初は参考書とテレビ講座で独学しましたが限界を感じて日暮里駅近くの中国通 学院という小さな教室に通い始めました。

出てきた講師の先生は、私と親子ほども離れた女性!中国ネイティブで日本語はペラペラだ。しかもすらっと背が高い美人!週二回通い始めました。
鼻の下を伸ばしていたけど世の中そんなに甘くない。
紆余曲折の厳しい茨の道、しかしこの年まで味わったことのない新しい刺激と喜びに満ちた日々が始まりました。
ブログは語学特に中国語の私の進捗や学習のポイントを中心に日常のエピソードなどを織り交ぜて見たいと思っています。

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ボブディランノーベル文学賞受賞?(笑)

わたしは世の中を、斜に構ええて視るへそ曲がりである。
大多数が賞賛されているものは大抵が大嫌いである。
例えば、ゴルフ、野球、サッカー、競馬、競輪、パチンコなどなど、
男の大多数がこの中の一つは愛好家であるはずだ。わたしはこれらを何一つ解さない。オリンピックもパラリンピックも大嫌いである。人類の平和の象徴だとかのことだが、反対でナショナリズムの発揚の温床だと思う。それだけならまだいいが、あの開催中の喧騒には我慢がならない。特にテレビで主に観るニュース番組も朝から晩まで反吐が出るほどだ。2020年の東京オリンピック開催中は東京をにげだしたい。アスリートたちやスポーツをやることが悪いとは思わない。周りの喧騒とそれを煽り立てる仕掛けが嫌なのだ。
だから、人はわたしを変人とみる。それらの愛好家になりたいと思ったことは何度もあったが、真似事しても長続きはしない。
代わりに、世の中のどうでも良いもの、役に立たないもの、人々が注目しないものに憧憬がある。
廃墟、廃道、廃線、廃人。人から見離されたものを見ることに生きがいを感じる、いな、見ていると見離されたものがかえって主張をはじめてわたしに語りかけて来るような生きている実感がする。

そんなわたしが度肝を抜いたのは、今回のノーベル文学賞にボブディランが決まったことだ。誰が選んで誰が決定するか知らないが、思わず笑いが出た。ボブディランの根っからのファンではないが、芥川賞直木賞の落ち目ぶりにこころが痛んでいたのに、頭に爽快な風が抜けて行くようだった。
ボブディラン本人と連絡がつかなくて、歯の浮くような受賞の言葉もどこえやら、というのも痛快だ。
ノーベル賞の審査員や文学者もたいへん憤慨してるという。村上春樹はずいぶん前から、今年こそは、と誰でも思ったろうがわたしは彼は嫌いだから、ざまあみろと思っている。
こんな風に感じるのは、わたしが嫌われるゆえんだろう。

とはいえ、朝晩はめっきり冷え込むようになって来た。紅葉ももうすぐである。

 

最近の彼女

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うなぎと梅酒

私の祖母は明治35年生まれてしたが、私が中学校3年の夏に好物のうな重を食べた後にうっかり梅酒を飲み、悶え苦しんで亡くなりました。うっかり梅酒を飲んだというのは、昔からうなぎと梅原食べ合わせが悪いと云われていたのですが、それを忘れていたのです。普段は食前に健康のためと言って梅酒を杯に一杯飲んでいたのですが、その日はうなぎだから飲むのを控えていたのです。ところが、うなぎを食べた後、今度は梅酒を飲むのを忘れたと思い、冷蔵庫から梅酒を取り出したのです。おそらく物忘れがひどく、梅酒を飲むのを忘れていたことを思い出した途端に今度はうなぎを食べたことを忘れたのです。それを見ていたいかず後家で祖母のめんどうを見ていた伯母が、「お母様、うなぎに梅酒はまずいでしょう 」とたしなめた瞬間に祖母は苦しみ出し血を吐いて病院にかつぎこまれましたが、そのまま亡くなりました。
祖母は若い頃、田舎町で芸者をやっていたのですが、当時実業であった祖父に見初められました。そして周囲の反対を押し切ってけっこんしたのです。
つまり私は芸者の孫という出生の秘密があるのです。

 

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島原の乱

彼女「長崎は熊本の地震で行けなくなったゃったね 」

彼「長崎なら大丈夫じゃない? 」

彼女「ホントは長崎も熊本もどこにあるかわからない〜 」

彼「九州だよ。なんで長崎行きたいんだよ 」

彼女「 チャンポンと皿うどんとかカステラも食べたいしぃ 」

彼「食いモンばかりだな 」

彼女「ちがうもん。島原の乱だって見たいもん 」

彼「もうやってね〜よ! 」

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「池の跡」 ちょっと怖い話2016


暑くなってきたのでちょっと怖い話でも、、。

50代の主婦Rさんの若い頃の話。

Rさんの娘がまだ2歳だから、25年くらい前のこと。
7月に法事で東京から山形のT市の実家に娘を連れて帰ったことがあった。
実家は果物を作っている農家で敷地には果樹園の他、納屋、作業場と広い庭があった。

帰省して彼女は庭の端にある小さい離れに泊まった。部屋は六畳と四畳半の二間で普段は客を泊めるのに使っていた。Rさんが物心ついた時からこの離れはあったが泊まるのは初めてだった。

その日は午後、離れで娘の添い寝をしていた。
娘を横にしてうとうとしてるとなにか足元を這い回る気配がした。飼ってる猫が忍び込んだだろうと、気にもせず目を開けないでいた。
しばらくすると、その這い回る気配は足元からタオルケットに入り込み、やがてふんわりしたものが足腰からお腹、胸まで這い上がって来た。Rさんは猫ではなく2歳になっても乳離しない娘がおっぱいを求めて来たのかと思い目を開けた。しかし、胸に乗っているはずの娘は横に寝ていた。
胸にはふわふわしたものが張り付いて蠢いている。Rさんは初めて恐怖を感じ声を出した。するとふわふわしたものは胸から頭まで這い上がって来た。タオルケットから出てきたのは幼い女の子の顔だった。そしてRさんの顔の鼻先でニッコリするとスーッと感触とともに消えてしまった。
Rさんはもう眠ることは出来なくなり、娘を起こし母屋に戻った。夢だったか、入眠時に起こる幻覚か考えたが、あまりにも感触がはっきりしていた。
夕飯時、そのことを家族に話した。
家族は黙って聞いていたが、やがてRさんの父親が今まで言わなかったがと断り、口を開いた。
あの離れの場所は元々は池だったが埋めて家を建てた。
50年以上も前、2歳の幼児がその池に落ち溺死したという。
その子は父親の妹でRさんの叔母にあたる。
事故の時、その子の母親つまりRさんのお婆さんはRさんと同い年だった。
そのあとに池を埋めて離れを建てたのだという。
Rさんは溺れ死んだ叔母の霊が彼女を母親が来たと思い出てきたのではないかと話していた。

※このシリーズは、筆者が体験したか、体験した本人からの話です。噂やまた聞きはありません。

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