夜風のささやき

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断片的な思い出 四 「幻の村山砦」



小説か映画のタイトルのようだがそうではなく現実の話だ。
歴史上の話でもない。

三年ほど前、不思議なことがあった。
昔、東京の西にある狭山湖畔に「村山砦」という料亭のような変わった料理屋があった。

湖畔の鬱蒼とした樹木の中にかがり火を焚いた門があり、その門をくぐって建物に入ると元横綱の力士が下足番にいる。そして部屋に行くまでの廊下には戦国時代の鎧甲冑が並んでいる。建物のつくりは武家屋敷というより戦場の砦を再現したかのような造りだった。料理は鳥料理を中心としたものだったが、夏になると流しそうめんをやっており地元でもかなり有名な店だったが、もう二十年以上も前にその不気味な建物は無くなり更地になりそして何かの施設になっている。

四十数年前に報道カメラマンをやっていた僕の父がある人に頼まれ村山砦のPRフィルムを撮ったことがあった。撮影や試写会には幼い僕も連れて行ってもらった。

まだ小学校一年だった僕はそこの酒井さんというオーナーさんに可愛がられなんと当時珍しかった電子時計をプレゼントしていただいたことがあった。

酒井さんは当時は40代であったが和服を着こなし、僕の父と比べてとてもしぶく頼もしく思え強く印象に残っていた。

そんな記憶を辿って「村山砦」の痕跡を探してWEB検索をかけたりしていたが詳しいことは解らなかった。

しかし昨年の12月になって再度検索をかけたところ、なんと「村山砦」を探している人のブログを見つけた。他にも昔の記憶を辿り「村山砦」を探している人がいたのだ。

そこでは当時の写真も提供してくれた人もいて何枚か掲載されていた。僕も感余ってブログのコメント欄に思い出を書き情報交換を約束した。

ところがびっくりしたことに「村山砦」のオーナーの息子さんという方からコメントがあったのだ。

曰く、現在は千葉県佐倉市でゴルフ練習場をしていて父上つまり僕に電子時計をくれた当時のオーナーさんも91歳になったがまだご健在だという。

群馬に住む81才になる父に電話で確認するとよく覚えており、当時「村山砦」に喜劇役者たちを招いた模様をPR映画風に撮ったものだった。酒井さんは多摩の実業家として活躍していて田無の映画館も経営していたということだった。

息子さんがお父さんにその一連のやり取りを伝えたところ、なんとなく覚えているとこことだった。

僕は感激のあまり興奮してコメントを何度も書き、とうとう息子さんとブログできっかけを作ってくれた方と三人で東村山の「村山砦」で料理を作っていた方の店で会うことになった。

思い出の証言者に会うということは自分の記憶の再構築を行うことである。人間の脳は勝手に記憶を捏造することがあるそうだ。

その店は久米川駅北口にある「八丈島料理ながしま」である。
時間通りに店に入ると酒井さん(息子さん)が先に来ていて迎えてくれた。やがてブログオーナーさんも来て話が盛り上がった。

酒井さんは村山砦の重いアルバムを持って来てくれた。
やはり、記憶の通りであった。

びっくりしたのは、僕の親父が撮影してるすがた。また料理人の長島さんが写り込んでいることだった。

二次会は近くの従兄がやっているミュージックハウスに行った。

酒井さんは車なのでこのミュージックハウスのあるビルの上にあるホテルに泊まるということで夜中まで騒いだ。

その後、その年事情があってブログは閉鎖し、小1の僕を可愛がってくれた91歳の酒井さんんも亡くなった。息子さんとは今でも連絡を取り合っている。

正門。夜になると篝火が焚かれる。
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全体を俯瞰。かなりの規模であった。
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玄関から部屋までは鎧甲冑が並ぶ。
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廊下
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往年の喜劇役者たちも集った。
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真ん中の和服の男性がオーナーの酒井さん。
僕の親父が左のふすまの間からカメラで撮影している。
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厨房、右の男性がながしまのご主人。当時21歳。
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