夜風のささやき

言霊 謎 狂気 廃墟 廃人

ボブディランノーベル文学賞受賞?(笑)

わたしは世の中を、斜に構ええて視るへそ曲がりである。
大多数が賞賛されているものは大抵が大嫌いである。
例えば、ゴルフ、野球、サッカー、競馬、競輪、パチンコなどなど、
男の大多数がこの中の一つは愛好家であるはずだ。わたしはこれらを何一つ解さない。オリンピックもパラリンピックも大嫌いである。人類の平和の象徴だとかのことだが、反対でナショナリズムの発揚の温床だと思う。それだけならまだいいが、あの開催中の喧騒には我慢がならない。特にテレビで主に観るニュース番組も朝から晩まで反吐が出るほどだ。2020年の東京オリンピック開催中は東京をにげだしたい。アスリートたちやスポーツをやることが悪いとは思わない。周りの喧騒とそれを煽り立てる仕掛けが嫌なのだ。
だから、人はわたしを変人とみる。それらの愛好家になりたいと思ったことは何度もあったが、真似事しても長続きはしない。
代わりに、世の中のどうでも良いもの、役に立たないもの、人々が注目しないものに憧憬がある。
廃墟、廃道、廃線、廃人。人から見離されたものを見ることに生きがいを感じる、いな、見ていると見離されたものがかえって主張をはじめてわたしに語りかけて来るような生きている実感がする。

そんなわたしが度肝を抜いたのは、今回のノーベル文学賞にボブディランが決まったことだ。誰が選んで誰が決定するか知らないが、思わず笑いが出た。ボブディランの根っからのファンではないが、芥川賞直木賞の落ち目ぶりにこころが痛んでいたのに、頭に爽快な風が抜けて行くようだった。
ボブディラン本人と連絡がつかなくて、歯の浮くような受賞の言葉もどこえやら、というのも痛快だ。
ノーベル賞の審査員や文学者もたいへん憤慨してるという。村上春樹はずいぶん前から、今年こそは、と誰でも思ったろうがわたしは彼は嫌いだから、ざまあみろと思っている。
こんな風に感じるのは、わたしが嫌われるゆえんだろう。

とはいえ、朝晩はめっきり冷え込むようになって来た。紅葉ももうすぐである。

 

最近の彼女

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