断片的な思い出 小2の作文から 7
昭和41年6月20日
おとうさん
てづかはじめ
うちのおとうさんはカメラマンで日よう日でも行くことがあります。
ドライブにつれてってくれることもあります。ちいさいころはかけ足がはやくてがきだいしょうでした。
一日ににさんかいかいしゃにいきます。あさはやく行って十二じころかえってくることもあります。だからやすみの日はあさからよるまでねています。
うちにはベッドがふたつあります。ねているとおみやげをかってきてくれます。たのめばなんでもかってくれます。おとしだまは300円くれます。ふざけるくせもあります。三ばいごはんをたべます。<先生のコメント>
おとうさんはいそがしいですね。
<解説>
父は放送局の報道カメラマンだったので生活が非常に不規則であった。重たいカメラをかついでどこにでも行った。事件があれば夜中だろうと関係ない。
何回か取材についていったことがあったが、締め切り時刻に間に合わないとフィルムをヘリコプターがとりにくることがある。
これみて「なんてカッコいいんだろう」と子供ごころに思った。
父はきわめて人当たりが良かったのだったので
この時期はまだ家族の仲が良かったときだが、この後からだんだん両親の雲行きがおかしくなって来た。母が東村山の久米川でバーをの経営を始めた。ちょうど菊水ビルが建つ前で今はぼくの従兄がミュージックハウスをやっている辺りだ。父は早く帰宅できた時には車で店が終わる時間を見計らって母を迎えに行っていたことを覚えている。僕は2人が戻ってくるのを寝床で待っていた。父の車は最初スバル360で排気音が特徴あったので聞き分けていたのである。父の話は過去の記事にもある。
出版社の宝島社に勤めていた友人が別冊宝島に載せてくれたエッセイだ。こちらは下手ながらも大人の文書だ。母と離婚して僕を引き取り男手一人で僕を育ててくれた元祖イクメンの話である。
親父とホンダN360の思い出http://yafuu.hatenablog.com/entry/2013/12/12/002522